感情伝染(emotional contagion)とは、他者の表情、声、しぐさ、言葉などに触れることで、自分の感情や表現が似た方向に動くことがある現象です。喜び、緊張、いら立ちなどを共有しているように感じる場面を考えるための概念で、対面だけでなくオンライン上のやり取りも研究されています。
ただし、相手の感情がそのまま自分に移るという意味ではありません。その時の状況、関係性、もともとの気分、情報の内容などが影響します。感情伝染は、人の感情を決めつける診断ではなく、周囲との相互作用を見るための一つのレンズです。
1. 日常で見られる感情伝染
周囲の表情や話し方は、会話の雰囲気や自分の反応に影響することがあります。
職場で緊張感が広がる
会議で誰かが強い口調で話していると、ほかの人も発言を控えたり、緊張した話し方になったりすることがあります。これを感情伝染だけで説明することはできませんが、表情や声の変化がチームの雰囲気に影響する可能性はあります。
もらい泣きやつられ笑い
近くの人が泣いているのを見て涙が出そうになったり、誰かの笑い声につられて笑ったりすることがあります。内容を理解したこと、相手との関係、場の雰囲気なども関わるため、単純な模倣だけとは限りません。
SNSでの感情的な投稿
強い怒りや喜びを含む投稿を続けて見ると、自分の投稿やコメントの言葉づかいが影響を受けることがあります。一方で、投稿の言葉の変化だけから、利用者が同じ感情を経験したと断定することはできません。
2. Facebookニュースフィードを用いた研究
オンラインでの感情伝染としてよく引用されるのが、Kramer、Guillory、Hancock(2014)によるFacebookニュースフィードの研究です。この研究は規模の大きさと、研究倫理をめぐる議論の両方で注目されました。
研究の設計
研究では、約69万人の利用者について、ニュースフィードに表示される友人の投稿から、肯定的または否定的な言葉を含む投稿の比率を一週間調整しました。その後、利用者自身のステータス更新に含まれる肯定的・否定的な言葉の割合を分析しました。
- 肯定的な言葉を含む投稿を一部表示しにくくする条件
- 否定的な言葉を含む投稿を一部表示しにくくする条件
結果の読み方と限界
投稿の表示内容を変えると、その後の投稿に含まれる感情語の比率も小さく変化しました。これはオンライン上でも言葉の表現が影響を受けうることを示す結果です。ただし、測定されたのは主に投稿文の語彙であり、各利用者の主観的な気分を直接測ったものではありません。論文には後に編集上の懸念表明と訂正が付され、研究倫理についても議論が続きました。
3. 感情伝染に関わると考えられる過程
感情伝染については、表情・声・姿勢などの同調、相手の状況の理解、場の規範など、複数の過程が関わると考えられています。一つの生物学的な仕組みだけで説明することはできません。
表情やしぐさの同調
会話中に、相手の表情、声の大きさ、話す速さなどに自分の反応が近づくことがあります。このような同調は、感情が共有される過程の一部として研究されています。ただし、ミラーニューロンを用いて人の複雑な感情の共有を直接説明できるわけではありません。
身体反応と感情の関係
表情をつくることと感情の経験の関係は、顔面フィードバック仮説として研究されてきました。研究結果にはばらつきがあり、表情の変化だけで特定の感情が必ず生じるとは言えません。相手の表情を見てどう意味づけるかも重要です。
状況と関係性
同じ表情でも、親しい人から向けられた場合と、緊張する場で見た場合では受け止め方が変わります。感情伝染を考える際は、誰が、どの場面で、どのような情報を共有しているかを見る必要があります。
4. 併せて知っておきたい関連理論
ネガティビティバイアス
否定的な情報が注意や記憶に残りやすい傾向です。ネガティブな表現が目につきやすいことと、感情が共有されることは別ですが、同じ場面で重なる場合があります。
社会的証明
周囲の行動を判断の手がかりにする傾向です。感情伝染が感情や表現の変化に注目するのに対し、社会的証明は主に「多くの人がどう行動しているか」を手がかりにします。
集団極性化(グループ・ポラリゼーション)
似た意見を持つ人の議論で、その意見がより強まることがある現象です。感情の共有が議論の雰囲気に影響することはありますが、集団極性化と感情伝染は別の概念です。
感情ヒューリスティック
対象について抱く感情を、判断の手がかりにする傾向です。感情伝染は周囲との相互作用による感情の変化を扱い、感情ヒューリスティックはその感情が判断にどう使われるかに注目します。
5. 学術的根拠・出典
- Hatfield, E., Cacioppo, J. T., & Rapson, R. L. (1993). Emotional contagion. Current Directions in Psychological Science, 2(3), 96–100.
- Hatfield, E., Cacioppo, J. T., & Rapson, R. L. (1994). Emotional Contagion. Cambridge University Press.
- Barsade, S. G. (2002). The ripple effect: Emotional contagion and its influence on group behavior. Administrative Science Quarterly, 47(4), 644–675.
- Kramer, A. D. I., Guillory, J. E., & Hancock, J. T. (2014). Experimental evidence of massive-scale emotional contagion through social networks. Proceedings of the National Academy of Sciences, 111(24), 8788–8790.
- Editorial Expression of Concern: Experimental evidence of massive-scale emotional contagion through social networks (2014). Proceedings of the National Academy of Sciences, 111(29), 10779.