期待効用理論(Expected Utility Theory、EUT)とは、不確実な結果を伴う選択肢を、各結果の確率と、その結果に割り当てる効用(価値)を用いて比べる理論です。基本形では、選択肢の評価を Σ piu(xi) と表し、より大きい期待効用をもつ選択肢を選ぶと考えます。期待値が金額などの平均を比べるのに対し、期待効用理論は、結果の価値が人や状況によって同じ大きさではないことを扱えます。
ただし、これはあらゆる意思決定をそのまま記述する万能の説明ではありません。確率や選択肢が十分に定まる場面での規範的な基準として強く、実際の判断では情報不足、比較の難しさ、提示のされ方などにより、公理から外れる選択も観察されます。以下では、理論の仕組み、前提、関連理論との関係を整理します。
1. 日常場面で見る「期待効用理論」
期待効用理論は、日常の判断を唯一の原因として説明するものではありません。しかし、リスクと結果の価値を分けて考える枠組みとして、次のような選択を整理できます。
保険に入るという選択
事故や病気の損失が大きいとき、保険料を払って損失の不確実性を小さくする選択があります。金額の期待値だけでは保険料が割高に見える場合でも、資産の効用が逓減すると仮定すれば、大きな損失を避けることの効用を反映できます。もっとも、実際の加入には制度、流動性、保障内容への理解も関わります。
資産運用の分散投資
一つの資産だけに集中せず、値動きの異なる資産を組み合わせることは、結果の分布を考慮する例です。期待効用理論では、収益の平均だけでなく、損失が生じる状態での効用も評価に入ります。ただし、分散の具体的な方法は、期待効用理論だけで一意に決まるわけではありません。
ギャンブルの引き際
追加の賭けを続けるかどうかは、得られる可能性と失う可能性を、現在の資産水準を含めて比較する問題として表せます。ある人が賭けをやめることは、それ自体で合理性や非合理性を示すものではありません。確率の見積もり、効用関数、代替手段によって評価は変わります。
2. 金額ではなく「満足度」で計算する(詳細なメカニズム)
期待効用理論の重要な点は、金額そのものではなく、結果に対する効用を通じて選択を比較することです。ベルヌーイはサンクトペテルブルクのパラドックスを検討し、貨幣の増加と効用の増加を同一視しない考え方を示しました。
期待値の限界
期待値は、同じ確率で起こる金額を平均する便利な指標です。しかし、非常に大きい低確率の賞金を含む選択では、期待値だけでは実際に支払ってもよいと考える金額を十分に表せないことがあります。サンクトペテルブルクのパラドックスは、この論点を示す古典的な問題です。
効用の導入
各結果 xi に効用 u(xi) を割り当て、確率 pi で重み付けして合計します。
E[u] = Σ piu(xi)
この式は、効用関数と確率が与えられたときの比較規則です。効用は単純な「気分の量」を測る数字ではなく、選好の順序を表すための表現です。また、通常のフォン・ノイマン=モルゲンシュテルン型では、正の一次変換をしても選択の順位は変わりません。
判明した「限界効用逓減」
資産が増えるほど追加的な金額の効用が小さくなる、という形の効用関数はリスク回避的な選択と整合的です。例えば対数型の効用関数はこの性質をもちます。ただし、限界効用逓減は期待効用理論から自動的に導かれる結論ではなく、個人の選好を表す効用関数についての仮定です。リスクを好む形の効用関数も理論上は可能です。
3. 「合理的である」ための4つのルール(公理)
フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの枠組みでは、くじの選好が一定の条件を満たすとき、期待効用で表現できることが示されます。代表的な条件は次の4つです。
- 完備性:二つの選択肢について、少なくとも一方を選好するか、両者を同等と判断できる。
- 推移性:AをB以上に、BをC以上に評価するなら、AをC以上に評価する。
- 連続性:選好の順位が、確率の小さな変化で不連続に飛ばない。
- 独立性:AとBの比較は、両方に同じ確率で加える共通のくじによって逆転しない。
これらは「現実の人が常に守る規則」というより、期待効用表現が成立するための仮定です。とくに独立性は、実験研究で検討・批判の対象となってきました。公理に合わない選択が直ちに誤りを意味するわけではなく、モデルの適用範囲を見直す手がかりになります。
4. 併せて知っておきたい関連理論
期待効用理論は、確率の下での選択を明確に記述する基準点として使われます。実際の意思決定を検討するときは、確率の認識、情報処理の制約、選択の手続きに注目する理論と併せて読むと、適用範囲が分かりやすくなります。
プロスペクト理論
プロスペクト理論は、結果を最終的な資産水準だけでなく参照点からの利得・損失として評価し、確率の扱いにも主観的な重み付けを導入します。期待効用理論の独立性などからの体系的な逸脱を扱う代表的な代替モデルです。
限定合理性
限定合理性は、利用できる情報、計算時間、注意といった制約の下で選択が行われる点を重視します。期待効用を計算するための確率や結果の一覧を作れない状況では、選択の手続き自体を考える必要があります。
満足化(サティスファイシング)
満足化は、すべての候補を最適化する代わりに、あらかじめ定めた基準を満たす候補を選ぶ方法です。候補の探索や比較に費用がかかる場面では、期待効用の最大化と区別して検討できます。
二重過程理論
二重過程理論は、判断に異なる処理様式が関与するという心理学上の説明枠組みです。期待効用理論は選択の一貫性を扱う規範モデルであり、二重過程理論はその選択がどのような過程で生じるかを問います。両者は対象が異なるため、同じ水準の理論として単純に置き換えるものではありません。
5. 併せて知っておきたい関連理論
関連理論は、期待効用理論を否定するためだけのものではありません。どの条件なら期待効用による比較が有用で、どの条件では別の説明が必要かを見分けるために役立ちます。
プロスペクト理論
小さい確率や確実性の扱い、参照点からの損得などを扱います。確率が客観的に与えられていても、その受け取り方が期待効用の仮定と異なる場合を考える際に参照されます。
限定合理性
情報収集と計算に制約があるとき、選択肢を完全に比較できない理由を扱います。期待効用を実行可能な手続きとして用いる際の条件を考える助けになります。
満足化
探索をいつ終えるか、どの水準を十分とみなすかに焦点を当てます。最適化よりも探索費用の管理が重要な場面で、有用な考え方です。
二重過程理論
直観的な判断と熟慮的な判断を区別して捉える枠組みです。理論上の選好の一貫性と、実際の判断過程を区別して検討する際に補助線になります。
6. 学術的根拠・出典
- Bernoulli, D. (1954 [1738]). Exposition of a New Theory on the Measurement of Risk. Econometrica, 22(1), 23–36.
- von Neumann, J., & Morgenstern, O. (1944). Theory of Games and Economic Behavior. Princeton University Press.
- Machina, M. J. (1987). Choice Under Uncertainty: Problems Solved and Unsolved. Journal of Economic Perspectives, 1(1), 121–154.
- Kahneman, D., & Tversky, A. (1979). Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk. Econometrica, 47(2), 263–291.