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なぜ上司は「自分たちの頃はもっと大変だった」と、若手にも苦労を求めるのか?

上司に仕事の負担を相談したら、「自分たちの頃はもっと大変だった」「若いうちは苦労した方がいい」と返された。そんな経験はないでしょうか。上司自身が本当に厳しい時代を乗り越えてきたとしても、昔の苦労がそのまま今の若手にも必要とは限りません。それでも、苦労した経験ほど「自分を育てたもの」に見え、次の世代にも受け継がれやすくなる仕組みがあります。この記事では、昔の苦労が職場の「普通」へ変わっていく理由を行動科学から整理し、上司の経験を否定せず、必要な学びだけを次の世代へ残す方法を考えます。

目次

1. 昔の苦労が今の若手にも「必要なもの」として求められる

匿名希望

「自分たちの頃はもっと大変だった」と言われると、何も言えなくなります

最近、仕事量が増えて残業が続いていたので、上司に「この作業だけでも分担できませんか」と相談しました。すると、「俺たちが若い頃はもっと遅くまで働いてたよ」「今はずいぶん恵まれてる」と言われました。別に楽をしたいわけではなく、今の仕事をちゃんと回すために相談したつもりだったのですが、それ以上は言いにくくなりました。
こういう話は残業だけではありません。研修について「昔は見て覚えた」、休日について「昔はそんなに休めなかった」、仕事の進め方について「若いうちは苦労した方がいい」と言われることもあります。上司自身が大変な時代を経験したことは分かります。でも、昔つらかったことと、今の若手も同じ苦労をする必要があることは、本当に同じなのでしょうか。なぜ上司は「自分たちの頃はもっと大変だった」と、若手にも苦労を求めるのでしょうか?

2. 昔の苦労を基準にされるほど、今のしんどさを言いにくくなる3つのパターン

先輩の経験を否定したくない人、自分もその程度には耐えたい人、今と昔の条件を分けて考えたい人では受け止め方が違います。それでも「自分たちはもっと大変だった」が現在の負担を測る基準として使われ続ければ、三タイプとも今起きている問題をそのまま「しんどい」と出しにくくなります。

このタイプのもやもや

「自分たちの頃はもっと大変だった」と言われると、上司も本当に苦労してきたのだろうと思います。自分だけ仕事を減らしてほしいと言うのも申し訳なくなり、「これくらいなら我慢した方がいいのかな」と相談を引っ込めます。本当は今の仕事を回すために見直したかっただけなのに、上司の苦労を知るほど、今つらいと感じる自分の方を疑うようになります。

ここで起きている構造:普通の圧

三タイプの動きは違います。人タイプは自分のつらさを引っ込め、大物タイプは世代間の正しさを争い、理屈タイプは現在の負担を証明しようとします。ただ、どの場合も共通しているのは、上司が経験した過去の苦労が「これくらいは耐えるもの」という標準値になり、今の仕事までその物差しで測られていることです。「昔より楽かどうか」と「今その負担が必要かどうか」は、本来別の問いです。

昔より残業が少なくても、不要な残業を残す理由にはなりません。昔は研修がなくても、今も見て覚える方がよいとは限りません。それでも「自分たちはやった」が普通になると、負担を減らす提案は「楽をしたい」、つらさを伝えることは「根性がない」と読み替えられやすくなります。「苦労するのが普通」という基準に押されて、今の仕事に本当に必要な負担なのかを考えにくくなる。これが、「普通の圧」です。

補足:残った成功例だけを見ると、苦労まで「成功の条件」に見えることがある

組織研究者Jerker Denrellは2003年、組織が他社の成功事例から学ぶとき、そもそも観察できる対象が偏っていることを論じました。現在まで残っている組織は選択過程を生き残った存在であり、失敗して消えた事例は観察されにくくなります。その結果、本来は成果と関係がない、あるいは危険を伴う慣行であっても、生き残った組織だけを見ると「成功につながる方法」に見える場合があります。

これは「昔はもっと大変だった」と話す上司を直接調べた研究ではありません。ただ、残った成功例だけから過去の方法を評価すると、その方法を経験しながら失敗した人や離れた人が比較対象から抜け落ちるという点は重要です。厳しい働き方を経験して現在まで残った人だけを見れば、「みんな苦労した。そして成長した」という証拠は自然と集まりやすくなります。

3. 行動科学で解説:なぜ「自分が苦労した」が「若手も苦労すべき」に変わるのか

上司が語る昔の苦労は、作り話とは限りません。本当に長時間働き、厳しい指導を受け、それでも仕事を覚えて管理職まで進んできたのかもしれません。問題は、その経験を振り返るときに、誰が今ここに残っているのかです。同じ働き方を経験した人の中には、辞めた人、体調を崩した人、別の仕事へ移った人、伸びなかった人もいたはずです。

ところが現在の職場から過去を見ると、そうした人は見えにくくなります。見えるのは、厳しい環境を通り抜けて残った自分や同僚です。そこから「苦労した人が残った」という事実が、「苦労したから成長した」という意味へ変わり、その苦労そのものまで価値あるものとして再評価され、最後には若手にも必要なものとして渡されていきます。

3つの理論で詳しく見る 

コア理論:生存者バイアス ― 耐えた人だけが「成功例」として残る|意味誤認

生存者バイアスとは、結果として残った人や成功した事例に目が向き、その過程で消えた人や失敗した事例が見えにくくなる偏りです。上司が現在の職場で振り返れるのは、厳しい時代を経験して今も会社に残っている自分自身や、同じように残った周囲の人たちです。

一方、同じ働き方で辞めた人、体調を崩した人、能力を発揮できなかった人は、現在の視界から抜けています。すると、「あの頃はみんな大変だった。それでも残った人たちは成長した」という証拠だけが集まりやすくなります。「苦労を経験した人が成功例として残っている」と「その苦労が成功を生んだ」を同じ意味で扱ってしまう。これが、意味誤認です。

サブ理論:認知的不協和 ― 大きな負担を払った苦労ほど、『意味のある経験』に変えたくなる|自己正当化

認知的不協和とは、自分の経験や行動と、それに対する考えが矛盾したときに生まれる心理的な不快感を、意味づけを変えることで小さくしようとする働きです。特に、大きな努力や負担を払った経験では、「あれだけ頑張ったのに、実は必要なかった」と考えるより、「あの経験にも意味があった」と考える方が、自分の過去を納得しやすくなります。

上司自身も、若手時代の残業や厳しい指導を当時から好きだったとは限りません。「なんでこんなことを」と思いながら耐えていたかもしれない。それでも、耐えた自分が今ここに残っていると、「嫌だったけれど無駄だった」より、「あの苦労があったから今の自分がある」と意味づける方が過去と現在をつなぎやすくなります。苦労を価値ある経験として捉えることで、自分が耐えてきた選択や行動を守る。これが、自己正当化です。

補助理論:投影バイアス ― 「自分には必要だった」を、若手にも当てはめる|意味誤認

投影バイアスとは、自分の価値観や感じ方を、相手も同じように持っていると考えやすくなる偏りです。自分の中で「あの苦労には意味があった」という評価ができると、その判断は自分だけの経験ではなく、「人が成長するにはこういう経験が必要だ」という一般的な基準へ広がりやすくなります。

すると、若手が残業を減らしたいと言えば「楽をすると成長できない」、丁寧な研修を求めれば「自分で苦労して覚えた方が身につく」と考えるようになります。しかし、上司にとって意味があった経験が、別の人にも同じ効果を持つとは限りません。「自分には必要だったと思う」と「この若手にも必要である」を同じものとして扱うことで、過去の苦労の意味を他人にまで広げてしまいます。

構造の固定化:「耐えた人だけが残る」ほど、苦労の正しさが証明されたように見える

こうして若手にも同じ苦労が求められると、さらに証拠の偏りが強くなります。若手に苦労を求める → その働き方に合わない人・耐えられない人が職場やそのキャリア経路から離れる → 耐えた人が残る → 「やっぱり耐えられる人が伸びる」と見える → 苦労には意味があったという認識が強まる → 次の若手にも同じ苦労を求める。 最初にあった生存者の偏りが、同じ働き方によってもう一度作られます。

さらに、その環境を耐えて残った若手が数年後に先輩や上司になれば、今度はその人自身が「自分もやった」という新しい成功例になります。昔は嫌だったはずの苦労が価値ある経験へ変わり、その経験が次の世代へ渡され、耐えた人だけがまた残る。過去の苦労が現在の「普通」を作り、その普通が次の生存者を選ぶことで、「普通の圧」が世代をまたいで強くなっていきます。

4. この構造をほどくには:「苦労が必要だったか」ではなく「何が成長に効いたか」を分ける

よくある方法論の間違い

よくある失敗:「昔と今は違う」と、苦労そのものを否定する

「昔とは働き方が違います」「そんな苦労は今の時代には必要ありません」と伝えること自体は、間違っているわけではありません。ただ、この構造では上司にとって昔の苦労が、自分が成長してきた経験と一体になっています。そこへ「その苦労は無駄だった」と聞こえる言葉をぶつけると、残業や厳しい指導の是非だけでなく、自分が歩いてきた道そのものを否定されたように感じやすくなります。 すると、本当に必要な負担だったかを検討するより、「あれがあったから今がある」と経験を守る方向へ進み、世代間の正しさ争いになってしまいます。

理不尽構造攻略のヒント

攻略のヒント:「どれだけ大変だったか」から、「その経験の何が役立ったか」へ問いを変える

昔の苦労を残すべきか、なくすべきかを先に決める必要はありません。見るべきなのは、その苦労の中に、実際に成長へつながった経験が何だったのかです。「昔は見て覚えた」なら、放置されたことが重要だったのか、それとも先輩の仕事を大量に見たこと、実際にやって失敗したこと、すぐフィードバックを受けたことが重要だったのか。苦労をひとかたまりの成功要因として扱わず、中身を分ければ、上司の経験を捨てずに不要な負荷だけを外せるようになります。

攻略1【分解】「どれだけ苦労したか」ではなく、「その経験で何が身についたか」を聞く

上司が「俺たちの頃はもっと大変だった」と話したとき、すぐに昔と今を比較するのではなく、その経験の中身を深掘りします。 たとえば、「その頃の経験で、今の仕事に一番役立っているのって何だと思いますか?」と聞いてみます。上司からすれば、自分の経験を否定されるどころか、むしろ知見として聞かれている質問です。

そこで「毎晩遅くまで働いた」という話から、「案件数をたくさんこなした」「先輩の商談を何度も見た」「失敗するとすぐ指摘された」といった要素が出てくれば、長時間労働と、その中にあった学習機会を別々に扱えるようになります。 必要なのが案件経験なら案件経験を残す。フィードバックならフィードバックを残す。夜遅くまで会社にいることまで再現する必要はありません。

こうすると、「自分も苦労した → だから若手も苦労する」ではなく、「自分も苦労した → その中で何が効いたかを見る → 効いた経験だけ次世代へ残す」へ流れが変わります。上司の過去を否定せず、その経験をより使える形に変換することが、今回の構造への中心的な介入です。

攻略2【再定義】「苦労できる人」を育てるのではなく、「何を身につけるか」を育成の基準にする

苦労と成長要因を分けたら、次は育成の目的そのものを言い直します。「若いうちは大変な経験をした方がいい」ではなく、「若いうちに顧客対応を何件経験する」「一人で案件を完結できるようになる」「失敗したらその日のうちにフィードバックを受ける」のように、苦労の量ではなく、得てほしい経験や能力を基準にします。

すると、「昔ほど大変ではないから育たない」という判断もしにくくなります。残業時間が半分になっても、必要な案件経験やフィードバックが確保できているなら、育成の目的は達成できます。逆に、ただ長時間会社にいるだけで経験が増えていないなら、苦労していても育成としては弱い。「大変だったか」ではなく「何が身についたか」で見ることで、過去の普通から現在の目的へ評価軸を戻せます。

攻略3【小さく試す】負荷を減らし、成長要因だけ残した方法で本当に育つか確かめる

それでも「そんな楽なやり方では育たない」と不安が残るなら、いきなり昔の方法を全部捨てる必要はありません。たとえば、先輩の仕事を見る機会や案件数、フィードバックの頻度は維持したまま、不要な残業だけ減らして一定期間試してみます。研修でも、「放っておいて見て覚えさせる」のではなく、実践量は残しながら質問や振り返りの時間を加える方法を試せます。

ここで確かめるのは、「若手を楽にしたらどうなるか」ではありません。苦労の中から取り出した成長要因だけでも、同じ能力や成果につながるかです。これが確認できれば、過去の成功体験は否定されません。「昔の経験から大事な部分を残し、今の環境に合わせて再現した」と扱えます。そうやって少しずつ、苦労そのものではなく、経験知が継承される職場へ変えていけます。

5. まず10分でできること:「その苦労の何が役立ったんですか?」という質問を一つ作る

最近、上司から言われた「昔はもっと大変だった」を一つ思い出してください。そして、その苦労を否定する言葉ではなく、中にあった経験を取り出す質問へ書き換えます。

たとえば、「昔は教えてもらえず、見て覚えた」と言われたなら、「その経験の中で、今の仕事に一番役立っているのは何だと思いますか?」。「昔は毎日遅くまで働いた」と言われたなら、「その時期に経験したことで、今一番役立っているものって何ですか?」でも構いません。

上司の苦労そのものではなく、その中で得た経験を聞く質問が一つできれば完了です。

6. まとめ:「自分も苦労した」は、苦労そのものが必要だった証明ではない

「昔はもっと大変だった」と若手にも苦労を求める背景には、単なる頑固さだけではありません。厳しい環境を耐えて残った人ほど成功例として見えやすく、その結果から「苦労したから成長した」と意味づけやすくなります。さらに、自分が耐えた経験を価値あるものとして捉え直し、「自分には必要だったのだから若手にも必要だ」と広げることで、苦労が世代をまたいで「普通」になっていきます。

だから、上司の過去を「無駄だった」と否定する必要はありません。苦労と、その中にあった成長要因を分ければいい。 案件経験、実践、失敗、フィードバックなど、本当に役立ったものは残し、ただ払っていた負担は次の世代に再現しない。そうすれば、「自分もやったから、お前もやれ」ではなく、「自分の経験から役立ったものを、次の人へ渡す」という形に変えていけます。

参考文献

Denrell, J. (2003). Vicarious Learning, Undersampling of Failure, and the Myths of Management. Organization Science, 14(3), 227–243.
https://doi.org/10.1287/orsc.14.2.227.15164

Festinger, L. (1957). A Theory of Cognitive Dissonance. Stanford University Press.
https://search.worldcat.org/title/A-theory-of-cognitive-dissonance/oclc/798785941

Aronson, E., & Mills, J. (1959). The Effect of Severity of Initiation on Liking for a Group. Journal of Abnormal and Social Psychology, 59(2), 177–181.
https://doi.org/10.1037/h0047195

Robbins, J. M., & Krueger, J. I. (2005). Social Projection to Ingroups and Outgroups: A Review and Meta-Analysis. Personality and Social Psychology Review, 9(1), 32–47.
https://doi.org/10.1207/s15327957pspr0901_3

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